1976年7月、24才の時に名古屋吹上道院に入門しほとんど休むこともなく10年が過ぎ練習もマンネリ気味になっていた頃、それを察しられたのか師匠の原為雄道院長より「道院長になってみないか!」と声を掛けられました。
「道院長は条件が揃わなければ誰でもできるものではない。仕事との兼ね合いや、少寺拳法に対する熱意が揃い初めてできるものであり、君なら二つの条件を持ち合わせている。」
「道院を運営し自分の考えている道院を作って行くことや、自分の指導により拳士が育って行く姿を見られることは他では味わえない喜びがある。」
と説得され、地元の岐阜で道院の設立を決意しました。
私が名古屋吹上道院に入門した当時は修練場の幼稚園に併設されていた養護施設にボランティアとして通っていたが、時間の経過と共にそうした活動にも足が遠のいていた。
道院を設立の決意をしたことをきっかけに、少林寺拳法の活動をする中で開祖の「半ばは自分のために、半ばは他人のために!」のお言葉と、「少林寺拳法は幸福運動である」のお考えを少しでも実践するため、日頃の修練の中での指導は勿論であるが、実践活動の一つとして何らかのボランティア活動に関わりながら、「他人の事を思いやれる人づくり。」ができるような指導を心掛けている。
老若男女、誰でもが入門でき、楽しく笑いがある道院づくりを目指している。
また、修練の中で自分ができるようになったことは他の人にも教え合える人づくり及び仲間づくりを目指している。
子供から高齢者までが楽しく、、時に厳しくみんなで修練しており、道院長を始めとして拳士が一丸となって明るい雰囲気の道院となるよう心がけています。
また、休憩中などは少年・一般を問わず拳士同士が楽しく会話が弾み、笑顔あふれる道院です。
僕は、小学校1年の時に両親に勧められ、岐阜三田洞道院の練習を見学に行きました。とってもカッコよく、僕も入門することにしました。
入門した頃は皆についていくことで精一杯でしたが、道院長の先生や一般の方、先輩の少年拳士の人達がいつも優しく教えてくれたおかげで、少しづつできるようになり、楽しくなっていきました。
また、少林寺拳法が頼りになる自分をつくるための修行であることや、靴を揃えたり作務(掃除)を行うことが修行の一つであることも先生の話や修練の中で知りました。
今、僕は6年生となり初段を受験します。必ず初段に合格して今後も少林寺拳法を続け、本当に頼りになる自分づくりを続けたいと思います。